HOME > 塾長コラム > アーカイブ > 2015年7月

塾長コラム : 2015年7月

自叙伝⑬(最終章)


フジゼミ設立から11年
初期のゼミ生はすでに大学を卒業し,幅広い業界で活躍している。
 
 
K君という卒業生がいる
フジゼミで勉強を始めたのは二十歳を過ぎてからだった。
 
 
彼はフジゼミで約2年間勉強し
22歳で(つまり4年遅れで)青山学院大学国際政治経済学部へ進学した。
 
 
4年遅れと聞くと,大きなハンデだと感じる人もいるだろう。
だが,学生時代に多くの経験を積んだK君は
数百倍という倍率を勝ち抜き,最大手のテレビ局から内定を勝ち取った。
現在は政治部のスタッフとして
たまに国会からのレポート姿を見せてくれる。
 
 
K君は大学4年生の時,フジゼミ生にエールを送りにきてくれた。
受験生時代の苦労話
バックパッカーで世界各国を放浪した話
若者の政治参加を呼び掛ける学生団体での話
いろいろな大学から集まった有志でチームを組みビジネスコンテストに出場した話
 
 ノートパソコンとプロジェクターを使った話に
ゼミ生たちが目を輝かせながら聞き入っていた光景が今でも目に浮かぶ
 
 
 
K君に限らず,
毎年いろいろなOBがフジゼミを訪れてきてはゼミ生の前で体験談を語ってくれる。

「塾にOBが訪ねてくるなんて珍しい」とよく言われるが,
ゼミ生や卒業生の中には,目に見えない絆があり,
また次の世代へと受け継がれていっているように感じる。
 
 
 
 
さて,フジゼミを設立して私自身が変わったことがある。

それまでの私は,
・いかに世の中に名を残すか
・いかに稼ぐか
・いかに出世するか
とにかく「自分」中心の考えだった。

それが,若者を育てる中で確実に変わっていった。
 
 
 
私も今年で40歳。
これまでの人生で得た経験,知識,人のつながり,受け取った言葉などを
自分より20歳も離れた若者に伝えることができれば,
彼らが私の年齢になる頃には,とてつもなく大きな存在になっているかもしれない。

そんな可能性のある若者を
これから何百人,何千人と発掘し,育てあげ,広い世界へと送り出してあげたい。
それこそがフジゼミを続けていく一番の意義だと確信している。
 

 
 
============================
 
長らく書いてきましたが,
自叙伝シリーズはこれにて終わりにします。
 
コラムは今後も様々なテーマで書き続けます。
叱咤激励,リクエスト,質問など,執筆意欲につながりますので
遠慮なくご意見をお寄せください。
 
 
引き続きよろしくお願いします。

自叙伝⑫(フジゼミ設立)


2003年5月

21歳で大学に進学して以来,7年ぶりに故郷での生活が始まった。
 
 
年末までは,フジゼミの設立準備を進めながらひたすら勉強の日々・・・
その間,貿易会社に勤めていた姉を口説いて合流してもらった。
 
 
年明けと同時に3LDKのマンションの一室を契約
看板はナシ
広告宣伝もナシ
そもそも私も姉も,大学では教職課程を履修しておらず,
教員免許を持っていない。
人に勉強を教えた経験もない。
一般的な塾や予備校に通った経験もほとんどない。
そんな“ナイナイづくし”のスタートだった。
 
 
最初の生徒は総勢5名
うち1人は中学の同級生S(女性)だった。
当時,彼女は高級クラブで売れっ子のキャストとして働いていたが
ある日,相談に乗ってほしいとやってきた。

 
 
29歳になった今,このまま夜の仕事を続けるか本気で迷っている
本当は保母さんになりたいとずっと思っていた
今からでも可能性があるなら挑戦したい
とのことだった。
その決断に心から同意したのは言うまでもない。
 
 
午前中は実家で内職の手伝い
午後からフジゼミで勉強
夕方から美容院で髪をセットして出勤し,深夜2時過ぎに帰宅
この恐ろしくハードなスケジュールをこなしながら,
半年後に大検に合格,さらに短大の保育科を受験して合格した。

現在,彼女は鹿児島県内で保育士として活躍している。
 
 
 
Sが大検に合格した直後,もう一人の同級生K(女性)がフジゼミにやってきた。
20歳で結婚した彼女には3人の子どもがいた
家族を養うために,ラーメン店などいくつか仕事を掛け持ちしていたが,
今後のことを考えて,専門的な資格を目指したいとのことだった。
 
 
Kは私たち同級生の中では“おバカキャラ”で通っており
分数の計算はダメ
かけ算の九九も珍回答の連発というレベルだった。
 
 
姉曰く,「フジゼミの歴史の中で最も教えるのが大変だった」
とのことだが,
Kは睡眠時間を削って仕事と子育てと勉強をやり切り,
4ヶ月後に准看護学校に合格した。
在学中に高卒認定試験にも合格した彼女は,
卒業後は看護課程へと進学して看護師の資格を取得した。
 
 
看護学校時代,「看護の日」という行事で
Kが全生徒を前にして体験発表をすることになった。
客席の後方には,ビデオカメラを持ったKの両親,3人の子どもたち,子どもの友人たちと
総勢10名ほどのギャラリーがずらっと並んだそうだ。

現在,福山市内の総合病院でバリバリの看護師として活躍しているKには
私たち講師陣もたくさんの自信をつけてもらった。
 
 
 
 
余談だが,数年後にKを超えるツワモノが現れた。
 
 
「先生,ワタシ,
ドゥーとドエスの違いがイマイチわからないんですけど」
(・・・ちなみに,doとdoesのことです)
 
それを隣で聞いていた姉が一言

姉:「ねえYちゃん,ルート(√)って聞いたことある?」
Y:「あ,ルート!知ってますよー。“道”ですよね!」
 
 
こうやって多くの珍回答に出会いながら,私たちも経験を積んできた。
おかげで,今は少々のことでは屁とも思わない。
 
 
 
 
 
設立から数年間,フジゼミの生徒層は
ツッパリ君
不登校君
ニート君
が中心だった。
 
 
そんな彼らの中からMARCHや関関同立の合格者が出たのを機に,
少しずつ普通の(?)高校生や浪人生も入塾してくるようになった。
 
 
今では高校生が全体の6割を占めているが,
初期の時代を支えた生徒層ももちろん健在だ
 
 
年齢,経歴,学力,一切不問
 
 
この方針はこの先も永遠に守っていきたい。

1

« 2015年6月 | メインページ | アーカイブ