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塾長コラム : 2015年5月

自叙伝②(大検→大学受験勉強を始めるまで)


ママさんとのやりとりから数日経った。
自宅でその内容を母に話したところ
「大検という試験があって,合格したら高校を卒業したのと同じように扱われるのよ。」
と教えてくれた。
(※大学入学資格検定,略して「大検」は現在でいう高卒認定試験のことです)
 
 
母から聞くまで大検という試験のことは全く知らなかったが
「そんな抜け道があるのか!」と素直に思った。
とはいえ,試験は年1回(現在は年2回)
受験科目は実に11科目(現在は8科目)と聞いて若干引き気味・・・
 
 
「まあ,1年3科目×4年間で合格すればいいかー」
くらいの軽いノリでとりあえず受験だけはしてみることにした。
 
 
人生初の大検は勉強時間ゼロでのお試し受験だったが
結果はなんと11科目中10科目に合格!!!!!
「簿記」「家庭科」「保健」なんて,なぜ合格できたのかいまだに分からない。
フジゼミで真面目に勉強している高卒認定生に対して後ろめたさを感じるが
私の場合,本当に「運」だけで10科目合格という珍事が起きたのだ。
そして,この珍事が私の人生を大きく変えていくきっかけになった。
 
 
最初は4年計画で考えていた大検が,
いきなり「あと1科目で合格」になったのだ。
 
大検に合格したら何ができるんだ?
もし来年合格したら,そのまま進学なんてこともアリか?
その場合,2年遅れ・・・

 
「おいおい,ぜんぜんアリじゃねーか・・・」
 
 
何でもすぐ調子に乗るところが私の長所だ(短所でもあるが)
大学生だった姉に自分の密かな企みを打ち明けてみた。
本屋で大学に関する雑誌をいろいろ読んでもみた。
強烈に興味が沸いたのは「就職」に関する情報
当時の私ですら知っているような企業名が並んでいる。
「大学行くってことは,将来こんな企業で働ける可能性があるってことだよなー」
 
 
以前は「どの仕事に就くか」しか考えられなかった将来だが
「大学進学」が加わることでどれだけ可能性が広がったことか。

もし大学に行けば
友人たちはどんな反応をするか?
母ちゃんは?
中学時代の担任は?
卒業してどんな仕事につくか?
あれこれと妄想してみてはワクワクした。
 
 
とはいえ,現実的には「受験勉強をどうするか?」という重大な問題があった。
今でこそ大学全入時代と言われるが,
20年前はまだ受験競争がそれなりに激しかった。
そもそも私の勉強は中学1年生で完全にストップしている
 
 
「ま,どうにかなるだろう。ハッハッハー」

この時点では大学進学についてはまだ妄想の段階であり
いつもと変わらず仕事と遊びに全力投球の毎日が過ぎていった。
 
 
 
12月のある日のことだ。
私が働くゲーム喫茶に小学校時代の幼なじみがやってきた。
5年ぶりに会ったその幼なじみは大学生になっていた。
 
 
私:「おまえ,大学生ってすげえな。勉強したの?」
友:「そりゃ受験生の時は相当やったわ」
私:「どれくらい勉強したんだ?」
:「辞書が真っ黒になるくらいやったな」
 
 ・・・!!!?
 
 私:「おい,頼む!その辞書見せてくれ」
 
 
勉強とは完全に無縁だった私が辞書に興味を示したので驚いていたが
どうしてもその辞書を見たかった私は,後日彼の家に押しかけていった。
彼が言ったとおり,その英語の辞書は手垢で黒ずみボロボロだった
いろいろな単語にえんぴつで線が引いてあり
破れたページはセロテープで補強されいた。
 
 
私:「俺もこれくらい勉強すれば大学生になれるんか?」
友:「すごいこと考えるな。けど,大丈夫だと思うで」
私:「どうやって勉強すればいいんだ?」
:「俺は予備校とかじゃなくて呉服屋のおっちゃんに勉強を教えてもらった。なんだったらお願いしてやろうか?」
私:「マジで頼む。真剣に頼む!!!」
 
 
ちなみにこのおっちゃんは英語がとても堪能で
呉服店をやりながら近所の子たちに勉強を教えているという人物だった。
 
 
正月が過ぎた頃,その呉服屋に挨拶にった。
 
 
呉:「勉強はどこまでやってたんだ?」
私:「中2以降はほとんど授業を受けてません。中1の内容もたぶん分かっていません」
呉:「どこの大学に行きたいんだ?」
私:「・・・・・・帝京以上に行きたいです」
(当時の私は大学名をほとんど知らなかったが,2才上の従兄が帝京大学生だったのでとっさに名前がでてきた)
呉:「そうか。まあ2年間真面目にやるならたいていの大学には入れるぞ」
 
 
この言葉を聞いた私は,素直に感動した。
「おいおい,このおっちゃんについていけば,2年でオレも大学生になれるんか!」
 
 
私の中で,この先やるべき事が決まった瞬間だった。
ゲーム喫茶のママさんには事情を話したところ
「2年と言わずに決めたら絶対大学へ行かんといけんよ。あんたは大物になるんじゃけぇ,もうこっちの世界に戻ってきたらいけんよ」
と言って送り出してくれた。
ママさんにはいくら感謝してもし尽くせない。
 
 
ゲーム喫茶の仕事は2月末で辞めた。
その後2日間は親友たちで「思い残すことはない」と思えるくらい豪遊し
3月3日から呉服屋に通う日々が始まった。

自叙伝①(高校中退~ゲーム喫茶時代)


まずは私の「人となり」を知ってもらうため
これまでの紆余曲折の人生経験について触れていきたい。
 
 
 
私は高校を2回中退している。
最初の高校は1ヶ月で中退,
1年遅れで入学したふたつめの高校も,半年ほどで留年が決まり中退した。

 
親:「これからどうするんだ(怒)」
私:「うるせー働くわ」
とイキがっていた時期だ。

 
進学?
学歴?
そんなことは微塵も考えたことがなかった。
そもそも高校を中退した時点で
「勉強」や「進学」が将来の選択肢として頭の中に思い浮かぶことなどあり得なかった。

 
仕事につく
給料日の翌日からは休みがちになり,パチンコやゲームなどの放蕩生活
金欠になると再び職探し
 
 
書いていて恥ずかしくなってくるが
自堕落な生活の無限ループで私の十代は過ぎていった。


 
そんなこんなで気がつけば19歳
この頃になると,時々自分の将来について考えることが増えていった。

 
当時,私はゲーム喫茶の雇われ店長として働いていた。
お店が繁盛すればそのまま収入につながるということもあって
他の仕事に就いている同級生の何倍ものお金を毎月手にするようになっていた。

 
毎日友人におごりまくってもお金に困らない生活
その一方で,
「俺,5年後とか10年後って何をやっているんだろう?」
ふとそんなことを考えることが多くなっていた。

 
ゲーム喫茶という仕事自体,一生やるようなものではないことは分かっていた。
たまたま私の店はお客さんが多かったが,いつまで続くか分からない。
はたしてこの仕事が続けられなくなった時,自分はどうするんだ?

ゲーム喫茶をやる以前のように,
日当いくらの現場仕事の日々には戻りたくない。
かといって他にどんな選択肢がある?
長距離トラックの運転手か?
キャバクラの男性従業員とか給料良さそうだなー
稼げそうな仕事をあれこれ考えてみるものの,どれも現実感がない。

 
この時は将来の選択肢を考えるとしても
「どの仕事につくか?」ということくらいしか思い浮かばなかった。
が,頭に浮かぶどの道も魅力的に感じなかった。
だから結局それほど真剣には考えず,また漠然と毎日を過ごしていった。
 

 
そんなある日
いつものように,閉店後にオーナー夫妻と打ち合わせをしていた時のこと
ママさんが突然私に言った。

 
「あんた,頭いいんだから,いつまでもこの仕事をしとったらいけんよ
今は通信制高校とかもあるし,ちゃんと学歴をとって表の世界に行ったらどうなん?
わたしね,最初はこの店が流行るとは思ってなかったんよ
あんたは商売の才能があるんだから,この世界にいるのはもったいないって思うんよ」
そんなことを真顔で言われたのだ。
 
 
あまりに唐突だったので,
その時は「はぁ・・・」と返しただけ

 
学歴ねぇ・・・
オレ19歳だしねぇ・・・

 
まだ全然真剣ではないが
高校を中退してから完全に消えていた「進学」という選択肢が
ほんの少しだけ芽生えてきた。

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