塾長コラム 小山有彦 自叙伝 選挙

自叙伝⑪(選挙)

塾長コラム

自叙伝⑪(選挙)

大林組を退職するのとちょうど同じ時期に,
岩國ゼミ時代からの盟友である小山有彦君が訪ねてきた。
彼は大学卒業後,国会議員の秘書を務めていたが
このたび市会議員選挙に立候補することを決意したという。
そして「一緒に選挙戦を戦ってほしい」と深く頭を下げられた。

 

生まれ故郷の千葉市ではなく,
大学卒業後に暮らす東京都府中市で立候補するということを聞き,一瞬ためらった。
府中は武蔵国の国府として栄えた歴史ある町だ。
代々続く地元の名士や企業も多い。
わずか3,4年間暮らしただけの若造が市議選に立候補するとなると
古参の議員からの猛反発も予想される。

 

「だからこそ,藤岡くんでなければ戦えない」
と小山君は言った。

 

知名度は全くない。
誰かの後ろ盾も,選挙資金もほとんどない。
それでも府中から立候補することを決意した経緯などをこつこつと説かれ,
「自分が政治家としてこの先やっていくためにも,人生を賭けた戦いになる。どうか一緒に戦ってほしい」
と真顔で真剣にお願いされた。

 

私が合流したのは退職後の2003年1月中旬のことだ。
4月に行われる選挙本番までは3ヶ月しかない。
私のほかに,やはり岩國ゼミ時代からの親友である丸山君も加わった。
資金がほとんどなかったため,小山君の自宅を事務所と兼用にし
ここに私と小山君と丸山君の3人が寝泊まりした。

 

政治活動用のチラシ
選挙ポスター
新聞に掲載する選挙公報
選挙カーや事務所の看板など
広報物関係は全て丸山君が中心となって自作した。

 

外部との交渉,契約関係,立候補届け出
日々の活動の立案と進捗把握などは
公職選挙法を片手に全て私が担当した。

 

そうして迎えた選挙本番,
小山君は2525票を集めて当選した。

 

 

この選挙に関してひとつエピソードがある。

 

知名度の低い小山君は,ポスターの掲示や駅での演説など,
「空中戦」といわれる戦術を駆使して顔を売っていった。
演説の上手さはピカ一だったのでとにかく目立った。

 

こうした若者らしい派手な活動に対して
事前の予想どおりさまざまな反発や嫌がらせがあった。
何度も地元の警察署から連絡があり,そのたびに私が出向いて対応した。
私たちも公職選挙法に違反しないことに細心の注意を払って活動した。

 

当選の一報が入り,
十数人の仲間や支援者らで万歳三唱をした後,
私は2人の若者を呼び出した。

 

2人とも19歳で,小山君が学習塾に勤めていた頃の教え子だった。
公職選挙法では,未成年者の選挙運動は禁じられている。
もちろん私はそのことを承知していたので,
彼らには旗持ちとか雑用など,違反にならないことを任せていた。
とはいえ,万が一にでも彼らが警察に事情を聞かれる場合に備えて
模擬取り調べをすることにした。

 

私:「おまえ,○月○日に○○駅で「よろしくお願いします」と言ってただろう」
A:「いえ,藤岡さんに何も言わないようにと言われていたので黙ってました」
私:「嘘を言うな,ここに写真があるんだ」
などなど。

 

自慢ではないが,私は警察の取り調べには慣れている。
あらゆる状況を想定して,2人に徹底的に教え込んだ。
あくまで万が一の可能性を考えて・・・

 

ところが翌々日,彼らが本当に警察に任意同行で連れて行かれたのだ。
一人は彼女とのデートで駅に向かう途中,いきなり目の前に車が止まって連行された。
もう一人は,家に一人でいるところを警察官が乗り込んできた。
突然2人と連絡がつかなくなったので,私たちも事態を把握し
いろいろと対策を考えた。

 

その日の夜,彼らが元気な姿で帰ってきた。
警察に本当に連行された時はさすがに焦ったが,
私の模擬取り調べと全く同じことを聞かれたらしい。
練習したとおりに答え,最後には警官と仲良くなって解放されたらしい。

 

笑い話ですんだが,対策をしておいて本当によかった。

 

余談だが,
小山君は府中市議を2期務めた後,都議会議員に立候補して当選した。
現在2期目を務めているが,もうすっかり府中の顔として活躍している。
警察に連行された若者2人はいずれも大学を卒業し,
1人は警視庁に採用されて警察官として頑張っている。

 

選挙後,私は会計責任者として必要な書類を作成・提出し,
小山君の初登院を見届けて広島に帰った。

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